東京での仕事を探す 壱から見つけた経験を通して

東京に住み始める人の中には、どんな仕事をするかもう決まって引っ越す人も多いことだろう。しかし、東京で一から仕事を探す人も多いのではないかと思う。僕がどう仕事を見つけたが何かの参考になればと思います。

苦労したことがなかった若い頃

ブログの一番始めのページで書いたように、僕は溶接屋であった父親の仕事を手伝って若い頃を過ごした。父親が病気でなくなったあとも、父親と親しかった方が心配してくれて、ホンダの下請けの下請けの会社でバイクのフレームやマフラーの溶接を東京に行くまでの三年間行った。

要するに東京に来るまで就活で苦労した経験がなかった。
仕事自体は大変だったし、頑張ったが、わり~となんとかなってきた。

しかし、東京で初めての苦労を経験することになる。

東京での仕事探しで多くを学ぶ

東京は選択肢が多い

geralt / Pixabay

東京に仕事の当てもなく引っ越したわけだが、意外と大変なのが、仕事の選択肢が多すぎるということだ。
これこそ贅沢な悩みだが、目移りする。

僕は基本的に、「仕事は食べていくためのもの」と思っている。逆を言えば、仕事に生きがいややりがいを求めているわけではない。そういうものは趣味や仕事以外のもので満たせばいいと思っている。もちろん仕事が生きがいになるに越したことはないが。

とはいっても、東京で信頼できる仕事の探し場所「ハローワーク」にいって「なんでもいい」となって、「なんでもいいが一番困る」ということに気づいた。ロッククライミングで、最初に引っ掛かりがないようなものである。

そのことは、後で触れたいと思う。

 

ただ、東京においてこの、「ハローワーク」という場所はホントにありがたい存在だった。

ハローワークとは無料で使える仕事のコンシェルジュ

不安な中、足立区にあるハローワークに行く。

なんか持ってく必要あるんですか?

スミナガラ
スミナガラ

特別持ち物は要りませんでした。

最初に何をするんですか?

スミナガラ
スミナガラ

申し込み書みたいのを書いた記憶があります。書き終わると順番に何人かいる担当の人と話します。

話すのって苦手なんですよね。

スミナガラ
スミナガラ

僕も苦手ですが、親切でしたね。僕みたいな人に慣れてるんでしょうね。

それで?

スミナガラ
スミナガラ

そのあと、自分で空いてる端末で探すんです。
最初の日は、探したけど「ここだっ」ていうのがなかった記憶がありますね。
まあ、家でも調べれるので、家でもパソコンで調べた記憶がありますね。

じゃあ、ハローワークいかなくてもいいんじゃないですか?

スミナガラ
スミナガラ

ただ、その会社に面接を申し込むのは、ハローワークの担当者じゃなきゃいけないんですよ。

それはめんどくさいですね。別に、自分で会社に、「ハローワーク見ましたから」って電話すればいいような気がするけど。

スミナガラ
スミナガラ

でも、僕はここが素晴らしいと思うんですよ。

どういうこと?

スミナガラ
スミナガラ

もし、あなたが人を雇おうと思っている会社側の人だったとして、いきなり知らない人から電話来たらどう思いますか?

誰この人?って思うかも。

スミナガラ
スミナガラ

でも「ハローワークのものですけど」って電話が来たら、話しやすいでしょ。

あ、だから、コンシェルジュだって書いたのね。

スミナガラ
スミナガラ

しかも僕は電話するのだいっきらいなんですよね。電話を持って30分くらい悩むこともあるくらい。

なんか過去にあったんですか?

スミナガラ
スミナガラ

そうじゃないですけど。

 

ハローワークの人は慣れている。

「この会社面接したいんですけど」というと、会社のほうに担当者が電話してくれる。

「こんにちは、ハローワークのものですけど。面接したい方がいまして、(こうこうこういう方)なんですが‥‥」「スミながらさん明日は大丈夫ですか?…あ、大丈夫みたいです。よろしくお願いします。」って感じに。

 

仕事探しで迷走する

で、どうなったんですか?

正直、僕は、イメージから「東京周辺で、僕の唯一の経験:溶接屋」は見つからないだろう、と思っていた。工場があるイメージがなかったから。

 

でも、やはりそれまで11年も働いたと言う経験を早々捨てるのも惜しいので探した。

すると、三軒くらい良さそうのが見つかった。その中の一件、荒川区の下町の溶接の工場に担当者から面接をお願いしてもらった。

 

「すんなり決まりそうかも」

「そうなってくると最初が肝心」

「ちょっと高めに希望の時給を言っとくか」
という方に気持ちが向かった。

 

あんまり細かくその時の状況は覚えていないが(ちょっと忘れたいぐらいだが)、面接が無事終わったのは覚えている。

そして、「連絡します」と言われたのもはっきり覚えている。

 

 

しかし、連絡が来ない!

 

一週間たち、もう次の面接を受けたいとこだが連絡がない!
僕は迷った。だが、ちょっとした電話に30分ぐらい迷う僕である。電話する決意がつかず、薄々結果はわかっていたけれども、それからさらに一週間後、決意を定めで電話する。

 

電話した時の場所も覚えている。

 

スミナガラ
スミナガラ

ええと、以前面接に伺ったすみながらと言いますけど。

 

あ、あ、すみながらさん…(オド) 実は~、もう一人50代くらいの方がいましてぇ~、その方がどうしても生活に困っているというので、その方のほうを雇うということになりまして・・・。すいません。

スミナガラ
スミナガラ

・・・・・・・・あ、

スミナガラ
スミナガラ

ええと、分かりました。また何かあればよろしくお願いします。

 

え゛~~!
そんなら早く電話してくれよー!
二週間無駄にしたし!

心の声

 

電話嫌いな僕は、この一連の面接で、面接に用意していた自分のメンタル予算を使い果たしてしまった。

父親の会社に、一言で入り、次の仕事は向こうからやってきた、という僕にとって、冷静に判断する余力はもう残っていなかったのである。

 

面接で日本橋に行く

今から考えれば、最初の面接は、自給の希望額を高く言ったり、こちらの要求が多かったこと・・が少なからず失敗につながったのだと思う。

だから別に焦る必要もなかったのだが、面接の失敗という現実に、僕はもう冷静な判断力を失っていた。

 

「溶接って仕事を絞るからいけないんだ。とりあえず高いのから探そう。」

っと、ハローワークで見つけたのが コールセンターである。

 

時給は、あんまり記憶にないがかなり高かったような気がする。そして面接場所は日本橋の近くだった。

 

 

履歴書を準備する。

浜松工業高校、情報技術科卒。
父親とともに八年間溶接業をする。
ホンダの下請けでアルミの溶接を3年間する。

など(実際にはもっと正確な情報を入れたが)、履歴書を書いてて思った。

僕が面接官だったら、「何でここの面接来たの?」と思うだろな。

 

僕は、持っているスーツを着て、日本橋に降り立った。

まだ時間がある。「これが日本橋かぁ」と言いながらプラプラする。

 

そして時間になり、ビルのドアを入りエレベーターで会社の階に行く。

 

面接官が対応してくれた。

内容は覚えていないが、面接の向こうで、一人ひとり仕切られたスペースで電話の受け答えをしている人たちがいた、その風景は鮮明に覚えている。(ああこんな感じなんだ)

その面接官の、履歴書を見ながらの怪訝そうな顔も何となく覚えている。

 

それでも、普通に面接は終わった。

「また結果をお伝えしますね。」




そして、二週間たっても、電話は来なかった。最初っから期待していなかったが、電話が来ないということに、東京の面接官の無言のメッセージを聞いたような気がする。

 

「こっちも忙しいんで」

 

冷静になって考えた

一回目の失敗と二回目の失敗といういわゆる 経験値 を得て、僕はある程度冷静に考える余裕を取り戻した。

 

何が良くて何が悪いのか。

 

今まで何をやってきたか、ということを面接官は見る。
面接官は、大量の人を見ているだろうが、その人と会うのは初めて。面接官の立場から考えると、何を基準に雇うか決めるか、というと、やはり「履歴」である。
20歳そこそこの人なら、履歴がなくても育てる目的で雇うかもしれないが、できれば即戦力が欲しい。
その場合に見るのが、この人が何をやってきたかだ。職人が接客の面接にきて戸惑うのは当然だろう。
最初っから高い要求をしてもダメ。
雇われるほうからすると、安い給料で何年も働きたくない、と思う。
しかし雇う側からすれが、モノになるかわからないなか高い給料を払うなんて約束はできない。
自分に自信があるなら、働き始めてから、給料交渉をするのがベストな選択ではないかと思う。

教訓を生かす

次は、きちんと(?)溶接の仕事を探した。すると、僕が探しても見つからなかった会社を、心配してくれた知人がネットのハローワークのリストから探してくれて渡してくれた。

ハローワークから電話をしてもらう。次の日に面接が決まった。

 

次の日、土曜日だったが、早めに現地に行き、時間になって工場の中の事務室で面接をする。

「これまで、どんな仕事をしてきたか」と聞かれる。さい先は悪くない。

給料の希望を聞かれる。

「そちら側からすれば、どんな人かわからないでしょうから、いくらでも大丈夫です。」

あきれるくらい低姿勢だ。

 

「うちに工場長がいるんですが、その人が納得しないと雇えないので」と社長。

工場長に紹介される。ちょっと溶接やってみてもらって、と言われる。

なれない工場の、慣れない指示だったが、何とかこなす。

「結果はではまたお電話しますので。」

 

そして、その日の午後、電話が鳴る。来る時はこんなもんである。

「ぜひうちでお願いしたいと思いまして。」

今の会社である。もう11年前のことだが。

「最初は研修ということで、一日11,000円からで。」思ったよりも高かった。

 

今までの経験は、東京でも間違いなく活きる

NeuPaddy / Pixabay

この経験を通して強く感じたのは、どんな仕事でも、何をやったかということが経験値として評価される、ということである。

 

たとえレジの接客だとしても、レジの接客をしたことがない僕が面接をするよりも何倍も即戦力になるだろう。

単なるコピーをする事務にしても、単に定期便の配送をする運転手にしてもそうである。

運転手を雇おうとしている人からすると、単に「普通免許を持ってます」という人と、「一年間配送をやっていました」という人では、経験者を雇おうとするのが自然である。

 

だから、今やっている仕事に意味があって、次にも生きるんだ、という意識を持つことは大切だと思う。

さらにそこから発展させるならば、

なんでも選べる場合、少しでも経験値になりうる仕事、他の人から評価されやすい仕事、競争率が高くない仕事を選ぶ ことが将来につながると思う。

 

別にレジでもいいが、それよりも魚を下ろす仕事を選ぶとか、別に運転手でも十分スキルになるが、大型をとって大型の運転手を行うとか。二種の免許を取るとか。

コールセンターなんかも、若い時に経験すれば大きなスキルになると思う。

 

僕の場合は、たまたま父親がやっていた溶接屋だったが、今時ほんとに少ない業種である。ただ、競争率は極めて低い。

儲からない仕事、とも言えるが、今となっては20年以上も続けているので仕事のストレスは一切ないし、会社も大切にしてくれるし、リストラされるという不安もない。(会社がつぶれるという不安はあるが)

 

「東京に行ったらなんでも仕事がある」とか「新しく仕事を見つければいい」と思っている人も多いかと思う。でも、やはりそれまでの経験を、雇う側は見て判断するということを覚えておいたほうがいい。

できるなら、だれでもできる仕事ではないほうが強みになる、ということも感じた。

東京は人があふれている。例えばレジの仕事とか、運転手とか、お店の接客の仕事とかたくさんある。でも安い。当然である、ある意味だれでもできるから。

 

なので、

今ちょっと頑張って、ほかの人がやりたがらない仕事をするならそれが次に仕事を見つけるときに生きてくる。

んだと思う。

 

そんなわけで、僕の経験が何かの参考になればと思います。

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