東京に住むにあたって、地震が来たらひとたまりもないと感じた話

東京に住もうと思っているけど、地震があったらどうなるだろうと不安な人も多いはず。僕もそうでした。東京は地震に耐えられるのか… 実際に住んでみた感想と、3.11の実体験が少しでも参考になればと思います。

東京に引っ越す

負のイメージー東京

父親が亡くなった後、様々な理由があって、実家から東京の足立区に引っ越すことになる。(ちなみに出身は静岡県浜松市です。)


東京に移るまでの経過は以下にまとめてあります。

「住みながら旅をする」ということ。そのネーミングに込めた思い。

 

東京に住む前から、東京に来たことはあった。

小学校六年生の修学旅行できた、国会議事堂、東京ドーム(の外回り)、ディズニーランド‥。

車で初めて東名高速道度からつながる首都高を通り、湾岸線を通ってディズニーシーに行ったこともあった。
首都高に入ったあたりで、路肩も少ない道の両側に、まるで「道のタイルの隙間を見つけて生え出てくる雑草」のようにビルがニョキニョキ囲み始める。

 

ここは人が住むところではない!

僕が自分で東京を車で走った時に感じた、第一印象である。

わずか数年前に、テレビに映った阪神・淡路大震災での阪神高速の横倒しは、僕の目にまだはっきりと刻まれていた。

テレビの中の死者の数字がどんどん増えていくのを、何か映画を見ているかのように半分感じて見ていた。

そんな風に思うなら行かなきゃいいのに。

スミナガラ
スミナガラ

ですから、その辺は突っ込まないでください。
諸事情と書きましたでしょ。

しかも足立区だし。

スミナガラ
スミナガラ

足立区を悪く言うのもやめてください。

 

とにもかくにも、そんな、東京に住んでいる人から見たら被害妄想ともいえるようなネガティブなイメージを僕は抱えて足立区に移住する。

住んでみても変わらなかったそのイメージ

この気持ちは、実は基本的には今でもそれほど変わってはいない。

もちろん10年以上も住んでいればこっちの空気に慣れ、生活も楽しんでいる。
そして地震について言えば、今住んでいるところの近くでも、一生懸命 首都高の補強なり修繕をしたり、オリンピックに備えてか、耐震工事をいろんなとこでやっているのを目にする。

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しかし、あくまでも個人的な意見だが、補強できるところには限りがある。
昔の街並みが残っているところでは、それを壊して新しくしろ!なんて行政でも言えない。

もう建ってしまっている家などでは、建ったもの勝ち!ではないが、基本的にそのまんまなのである。

Christozavic / Pixabay

 

具体的な場所は言わないが、私の今の家の近くに明らかに傾いているクリーニング屋がある。隣のラーメン屋に寄りかかっている。まるで、知らないおっさんの肩に寄りかかって寝てしまった電車の中の女性のようである。誰か言ってあげればいいのに!というような複雑な入り混じった感情を抱えながら毎朝その前の道を通って通勤している。

「災害で街が生まれ変わる。」これはもう残念ながら避けることができない東京の現実なのかもしれない。

東日本大震災3.11を東京で経験する

工場がしなっている

その日その時間、僕は川口市にある溶接工場の中にいた。揺れ始め、すぐに飛び出した。見ると、たっぱ(背の高さ)が高い工場がばねのようにしなっていた。本気で倒れるかも、と思った。震度5の揺れだったそうだが、僕は「東京、終わった」と思った。

結果的には、大きな被害がなかったが、要するに「あれで5強」という自覚も必要だと思う。

何か月も後に気づいたことだが、うちの工場の10本くらいある柱の一つの基礎とすじかい(柱をバッテンに補強しているやつ)が完全に壊れていた。幾らか補強工事を行ったが、マジで次はダメだと思う。

stevepb / Pixabay

江戸時代

地震の少し前から住み始めた板橋区は、いろいろ歴史を感じられるものが残っている場所である。

うちのすぐそばを「中山道(17号線)」が走っている。今から何百年前の人たちが、ここを歩いて長野を通り京都まで行ったのか‥と考えると考え深いものがある。

今の中山道のわきの何の変哲もない坂は「清水坂」といい、昔は江戸から歩いて最初の難所だったらしい。ほーんとに、地元の人しか通らないような道なのに、想像するだけでノスタルジーを感じる。

その坂を上って少し行ったところに「一里塚」というのもある。家康が街道に設置したもので、現在都内で二つしか残っていない貴重なものだとその看板には書いてある。日本橋から三個目の一里塚だったらしいから、日本橋から12キロ離れているってことでいいのかな?

 

そんな風に江戸時代を想像して道で立ち止まって感慨にふけってる分には何の苦労もいらないが、実際に江戸時代と同じように「歩いて家に帰ってみるように」、と言われたら話は変わってくるだろう。

よっぽどの歴史マニアでない限り、日本橋から(何本も走っている地下鉄に乗らずに)何十キロも離れている家まで歩いて帰るなんてことは馬鹿げていると思うに違いない。

 

しかし、地震の日、人々は江戸時代を経験したのである!

僕は、数年前から使っているロードバイクで板橋区に夕方四時ぐらいには切り上げて帰ったのだが、その後六時半ごろ外に出てみると、なんと中山道は江戸時代になっていたのである。

渋滞する車と、歩いて帰る人たち。

 

私の知り合いの女性の方は、地震が起きたとき、90歳の父親と一緒に銀座のホテルでお茶をしていたらしい。ホテルにとどまるという案もあったが、そんな時、人は家がどうなったか心配で、何が何でも家に帰りたいという衝動に駆られるものらしい。

そして中山道で江戸時代の人となり、家に向かう途中でその父親とはぐれてしまったそうだ。

そして・・・父親は、

 

先に着いていたらしい。戦争を経験した人は強い、と納得してしまった。

本気の地震が来ると、東京は江戸時代になる。

自転車強し

東京という非常に狭いところに住んでいると、車を運転するのに50倍ぐらい神経を使う。盛ってない。

またいつか詳しく話したいが、東京で一年だけ車を持った時期があった。

ある時、ちょっと近くのホームセンターに行こうと思ったら、太い道の右側にある店にどうまがっていたらいいのかわからない。田舎みたいにどこでも右に渡れるわけではない。簡単にUターンできないってことも東京の常識。どこかで左に曲がってぐるっと行けば、行けるだろうと、左に曲がり道を入って、ここをまっすぐ行けば…とそしたら、一方通行の道を逆に走っていた。頭がテンパった。十数メートルバックし、こっちの道に行けば…とおそるおそる運転をしたら、ようやくそれっぽい道に出たので右に曲がった。警官に窓をノックされた。

右折禁止だった。

何か根本的に、違う乗り物に乗ってるんだと覚悟した方がいい、くらいのことを悟った。

 

さてその点、東京というところは、娘には甘い父親並みに自転車には甘い。

駅回り以外なら路駐オッケー。車道オッケー。歩道も気を付ければオッケー。言っちゃえば駅前も暗黙のオッケー。(月に何回か持ってかれますけど)

 

そして交通ルールがゆるゆる、ということの強みは非常時にこそ発揮される!

地震が起きたあの日、もう道路上に駐車しているレベルにピクリとも動かない車の横を、僕はいつもと同じ通勤時間で家まで帰った。

 

東京では自転車最強。

 

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いつか地震は来ます。荒川豪雨も警告されています。

不安をあおるわけではありませんが、東京では災害時交通網がほんとにストップするという覚悟を決めておくことは大事かと思います。

しかし、東京は決して大変なことばかりではありません。その不安やリスクを補って余りある「居心地の良さ」も東京には間違いなくあります。この説を次回検証。

ではまた。

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